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更新日 2011-07-30 | 作成日 2007-10-03

中医学(漢方)の歴史(東アジア世界史)

中国の中医学と日本の漢方の歴史についての記述です。それは、言うならば、東アジア「世界」の歴史です。

BC5000年~1839年は、中国を中心として結びつく東アジア世界でした

中華帝国のおかげで、外圧から守られた東アジア「世界」

世界を東洋(Oriental)と西洋(Western)とに分けますが、東洋というのは、東アジアと南アジア(インドなど)を含みます。
東アジアとは、地理的にはシベリアを除くユーラシア大陸東部と、日本や台湾など大陸沿岸の島嶼(とうしょ)(大小の島々)を合わせた地域です。現在の国・地域でいえば、中国、台湾、韓国、北朝鮮、日本、モンゴルのほか、ロシアの一部やベトナムなども含まれます。この地域の中心をなすのは、歴史的にみればやはり中国であり、東アジアは文化的には、古代から中国文明の影響を受け続けてきた地域ということができます。

中国の黄河中流域は、四大文明とよばれる古代文明のひとつ(BC5000年:黄河文明)が誕生した場所であり、殷(いん)に始まる中国王朝は、常に文明の先進地として周辺地域をリードし続けていました。そこから、自らを天下で唯一最高の中心と自負する中華思想も生まれてきたわけですが、これも17~18世紀まではただの空威張りではなく、事実として世界トップクラスの先進文明と、進んだ社会システムを保持していたのです。

ヨーロッパが科学文明において中国を明らかに凌駕(りょうが)するのは、産業革命(18世紀後半)以後です。
そしてこのことは、ルネサンス・大航海時代以降急速にその影響力を拡大し、文化的、経済的、さらには政治的にも世界支配を進めていったヨーロッパ世界に対して、その独立性をある程度維持し続ける要因のひとつにもなりました。東アジア以外の非ヨーロッパ地域では、16世紀以降、ヨーロッパ列強に容易に侵食されてしまったところもありますが、東アジアは距離的にヨーロッパから遠かったことと、強大な中華帝国の存在によって、19世紀半ば(1840年:アヘン戦争)までヨーロッパの圧力にさらされずに済んできました。日本や朝鮮が数百年間にわたり「鎖国(さこく)」体制を維持できたのも、強大な中華帝国の存在があればこそだったのです。

日本にとっての中華帝国と中国文明

東アジア「世界」の一員である日本にとって、中国は統一国家ができる前から、仰ぐべき文明の先進地でした。
水稲耕作にしろ漢字にしろ、日本文化のルーツはその多くが中国にあります。もちろん、漢方の理論や技術も中国から伝来したものが基礎になっています。飛鳥時代から平安時代にかけては、遺隋使・遣唐使が文字通り命をかけて海を渡り、進んだ文化を日本へ持ち帰りました。江戸時代の「鎖国」体制下でも、儒学者などを中心に中国を崇敬する意識は強かったのです。

もちろん、中国と地続きの朝鮮などと比べると、日本は中国に対して自立的にふるまってきたといえます。聖徳太子が隋の揚帝に宛てた国書や、天武天皇が唐の皇帝にならって「天皇」の称号を名乗ったとされることなど、中華帝国を盟主とする華夷秩序に従うことをよしとしない態度を、日本の権力者はたびたび示してきました。

しかし一方で、邪馬台国の卑弥呼や室町幕府の足利義満のように、時の中華帝国に対して朝貢を行った権力者もいます。また、日本とは別の国だった琉球(沖縄)は、明治時代初めに正式に日本領となるまで、中国から冊封を受け、朝貢を続けていました。

1840年~ 世界への扉を開いた日本

日本の帝国主義化と、ヨーロッパ文明の世界制覇

中華帝国を中心とした東アジア「世界」の秩序が崩れる最大の転機が、1840年のアヘン戦争です。この戦争で、中国(清)はイギリスの近代兵器の前に完敗を喫しました。そしてこの戦争を境に、中国は列強によって一気に侵食されてゆくことになるのです。

中国が半植民地化されたことで、同じ東アジア「世界」に属する日本や朝鮮も欧米列強の圧力にさらされることとなりました。日本は1853年にアメリカのペリーが来航したのをきっかけにして鎖国体制に終止符を打ち、幕藩体制が崩壊して明治維新を迎え、近代国家へ生まれ変わりました。
明治維新後の日本は急速に近代化を推し進め、富国強兵政策によって軍備を増強しました。かつて文明の先進国と仰いできた中国(清)を日清戦争で破り、明治維新からわずか26年、開国から数えてもたった40年で列強の仲間入りを果たしました。1904-05年には同じ列強のロシアに日露戦争で勝利して世界を驚かせ、近代世界において参加を認められることとなったのです。

19世紀後半、帝国主義の時代を迎えて、世界は余すところなく分割され、ヨーロッパ文明が世界を制覇しました。帝国主義の餌食となった非ヨーロッパ世界のなかで、日本だけが帝国主義のプレーヤーに成り上がり、「分割される側」から「分割する側」になったのです。

東酉冷戦からアメリカ一極支配へ、今なお続く「世界の欧米化」

帝国主義諸国間の対立はやがて2度の世界大戦を引き起こし、第二次世界大戦ではイギリス、アメリカ、ソ連を中心とする連合国が枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)を破ります。戦後はそれまでのような帝国主義のパワーゲームはなくなり、植民地が次々に独立しました。世界はアメリカを盟主とする自由主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義陣営による東西冷戦へ突入しました。

その冷戦も1991年のソ連の崩壊により終結し、以後はアメリカ合衆国が唯一の超大国となりました。そして、共産主義陣営がなくなったことで、資本主義・市場経済というヨーロッパ文明の波に全世界が改めてのみ込まれることになりました。この流れは21世紀に入った現在も続き、世界各地で格差の拡大、貧困の増大を生み出しています。

この「世界の欧米化」に抵抗する動きも各地で発生しており、特にイスラム過激派によるテロは、文明間戦争の様相をみせはじめ、現代世界の大きな不安定要因となっています。

また、アメリカの一極支配に対して、経済成長を続ける中国やロシアなどが異を唱えばじめ、ヨーロッパはEUの結成・拡大により、基軸通貨米ドルに対抗するユーロ圏を形成しています。さらに、核兵器を秘密裡に開発する国が出はじめ、核不拡散体制の崩壊による新たな「核の帝国主義」が到来するのではないかとの懸念も生まれています。

21世紀の中国と日本

「世界の工場」から巨大市場へと成長する中国

1990年代以降、安価な労働力と積極的な海外資本の受け入れで急成長した中国は、新たに誕生した富裕層の購買力を背景に、巨大市場へと変貌を遂げつつあります。

その一方で、環境対策など「責任ある大国」としての姿勢が国際社会から求められるようになっています。

激動する世界情勢の中で孤立化しつつある日本

20世紀後半、アジアに於ける反共の砦として、軍事、経済両面で、アメリカの恩恵を受けた日本は、軍拡競争や戦争で疲弊する米・ソ両国を尻目に経済大国へと成長しました。

しかし、東西冷戦が終結した21世紀、経済・社会のグローバル化やEU、中国、アジア諸国の台頭など新たに形成されつつある世界情勢の枠組みの中で、日本は自らの立ち位置を見直す必要に迫られています。

1991年バブル経済の崩壊後、「失われた10年」を経てようやく景気を回復させた日本です。
しかし、極端な対米追従路線や中国の台頭によるアジアでの影響力低下などにより、外交面では存在感を示せず、先進国としての今後の姿勢が問われています。

最近の日本社会の問題点

1990年代半ばから、世の中は激変しました。大前提だった経済成長は「格差」と「貧困」に、企業社会は「リストラ(本来の意味ではなく、解雇)」と「非正規(パート社員)」にとって代わられました。自民党政治の焦点も、「利益誘導型政治」から「構造改革」(小泉政権)に代わりました。

こうした日本社会の大激変の秘密を解く鍵を、冷戦の終焉(しゅうえん)による世界経済のグローバリゼーションに求めました。ソ連を始めとする社会主義圏の崩壊と中国の資本主義化で、市場経済は一気に広がりました。
世界的大競争時代に巻き込まれ、日本企業の競争力は低下しました。円高、経済摩擦、さらには低賃金と低い環境規制をひっさげた中国の競争参入を前に、日本企業は海外展開を余儀なくされましたが、これも競争力低下を加速しました。
働きバチ労働者や企業組合、下請けといった、これまでの日本企業の武器をもがれたからです。

かくて、非効率となった既存の制度・慣行を破壊して競争力回復をめざす「構造改革」政治を求める大合唱が始まりました。
柱は二つあります。
一つは、企業社会の再編です。終身雇用、年功賃金で労働者を安定させ生涯にわたる競争を組織してきた企業社会も、中高年化で人件費が割高となり、企業の転換にも足手まといとなりました。リストラの名の下、正規を絞り非正規雇用に置き換える大手術が敢行されました。定年年齢を52歳に変更した大銀行もあります。
もう一つは自民党政治の転換です。利益誘導政治は自民党政権安定の源泉でしたが、競争力には「二重の非効率」となってしまいました。一つは、財政の肥大化による法人税などの企業負担増。もう一つは、農業、自営業など弱小産業の存続による割高です。企業の負担を軽くするために、社会保障支出のみならず公共事業投資にもメスを入れ、中小、地場産業保護をやめる政治が求められました。

しかしながら、構造改革は自民党政治の足を切り落とすだけに簡単ではありません。財界の苛立ち(いらだち)を背に登場したのが小泉政権だったのです。小泉首相は、「労働者派遣法改正」などで雇用の非正規化を加速させ、「不良債権処理」を呼号して、中小企業や地場産業への金融を断ち切り、容赦なく淘汰を進めました。
「三位一体改革」の名の下、補助金・交付金を絞り上げ、福祉と医療と教育のどこを切るかの「自由」を自治体に与えました-ダメなら夕張になります。
「自民党をぷっ壊す」は、はったりではありませんでした。安倍政権も、「後期高齢者医療制度」など構造改革政治を継承しました。
結果は「周知」のことです。大企業の競争力は回復し、現在、トヨタは世界一の売上をねらっています。

当然の帰結として、非正規(パート社員)や派遣が激増し、企業リストラ、失業、倒産で格差と貧困が堆積しました。

今後の問題点とテーマは、
①医療崩壊
②ワーキングプア
③日本型雇用の崩壊
④市町村合併
が並びます。ここ数年、構造改革とそれに代わる選択肢の模索が、念頭を離れません。